なぜ国語ができないのか?③
2016年6月27日
続きです。
国語のできない生徒にはいくつかの共通点が見られます。例えば、
1.文章を読んでいる途中でそこから目線を外してしまうことが多い。
2.設問の読み方・捉え方が大雑把であることが多い。
3.選択肢を眺めている時間、選ぶのに費やす時間が長い。(国語の時間切れで悩む生徒の大半はここで時間を浪費する)
4.「わからない」「難しい」と口に出すことが多い。
などです。
1でわかるのは集中して文章を読めていないことです。集中して読まないと、そこから得られるはずの重要な情報を漏らしてしまい、全文の内容を正確に脳内に留めておくことができません。2だと「何を質問されているか?」を正しく掴んでいないので、必然的に質問に沿った答えを出すことができません。そこに1が加わると「聞かれた通りに答えていない」に、「文章の内容も正確に掴めていない」のダブルパンチに見舞われ、本人が「できた!OKだ!」と思っていても、実際は全く見当違いの答えを書いたり選んだりしてしまうのです。3になるのは迷うから、なぜなら1でお話ししたように文章の内容を正確に掴むような読み方をしていないから。漏れ漏れの状況を自ら作り、脳内に残った断片的であいまいな情報のみを頼りに(結局は勘で)エイヤーと選んでしまうから必然的に外してしまうことになる、そしてそれを繰り返すものだから、(「勘」が冴えたときはいいとしても)国語で何時まで経っても安定的した点を取れるようにならない。だから4のように「文章がわからない」「国語は難しい」と不平不満を口に出してしまうのです、しかもそれらの言葉は口に出せば出すほど言霊となり、簡単な文章でも難しく見えてしまうという悪循環を導き、結局そこから抜け出せないままの「国語のできない生徒」を作り出してしまうのです。
お気づきいただけたでしょうか。1~4の克服に必要なこと、ひいては国語の成績アップに必要なのは
1なら集中力
2なら正確さ
3なら集中力と正確さ
4なら根気
など、技術論というより、まず「精神力」=「人間力」の強化であることを。
しかし、国語ができないなら「読書に親しみましょう」「国語のセンスを鍛えましょう」「行間を読み取りましょう」「感情豊かな子に育てましょう」「情緒を大切にしましょう」と勧める講師は(相変わらず)多いです。小学校の先生もそのように指導するでしょう。ですが、この学習法の問題点は客観より主観が重視されている点です。何度も言いますが(科目を問わず)テストの答えは一つであるべきで、実際テストはそういう作りになっています。そうでなければ合否を公正に峻別することができないからです。主観だと答えは十人十色。この答えもいいが、あの答えもアリだよね、では厳正であるべきテストの性格に沿いません。もし「国語の答えは算数と違ってひとつじゃないから難しいよ」などというお子さんがいれば、それは国語の担当講師が間違った教え方をしているからです。「国語の答えはひとつしかない」とビシッ言えるような指導、客観的事実に基づいた指導ができなければ、生徒は国語ができないまま、最後まで国語の根本原理を知らないまま過ごすことになってしまいます。言われた通りせっかく読書に励んでも、それが主観的な読み方(自分勝手な解釈をするような読み方)や飛ばし読みであっては何の意味もないのです。このような「趣味に近いような読書・読み方」をすればするほどますます「正しい国語の学習法」→「国語の本質の理解」→「受験に有効な国語」から遠ざかっていくことになる、早くそこに気付かなくてはいけないのですが、ほとんどの人が気付いていないのが現状です。
では、正しい国語の学習法とは?
それは次回とさせていただきます。