塾の役割とは。⑨
2016年3月17日
続きです。
担当教科の専門知識が豊富であることは塾講師として当然の責務ですが、しかしそこで優劣に差がつくことはほとんどありません。知識量云々は採用時点ですでに篩にかけられているからです。実績で差がつくのは「授業の見せ方」「アウトプットの技法」です。日頃からそれを意識して授業を行っているか否か?その蓄積の差が評価の差となり実績の差へと結びついていきます。
まず「授業の見せ方」ですが、講師の心構えとして重要なのは「自分が知っている知識は相手には未知のものであるという意識を持ちながら授業を進める」ということです。例えばスマホの買い替えの相談にショップを訪れた際、店員からいろいろ説明を受けると思います。しかし、先方は私たちの知らない専門用語を多用し「立て板に水」の如く説明してきますから、聞かされているこちらは何を質問したらよいかわからないまま、ただ頷くだけの聞き手のままで事が過ぎていき、納得できないまま押し切られて買わされてしまった・・なんて経験はありませんか?質問したくても「こんなことを質問して恥ずかしくないだろうか?」という羞恥心から、また、少し高飛車な店員に対しては怖くて質問し辛いから、そんな理由で「言われるままに契約してしまった」などという経験はありませんか?
この店員さんの問題点は感度の低さです。自分が知っている専門用語は相手も知っているだろうか?ところどころで質問させる間を作る必要があるだろうか?この声のトーンで相手を不愉快にさせてはいないだろうか?などの気遣いができていない、つまり、話を進めつつも相手の様子を伺い臨機応変に対応していく能力に欠けている。
もし、この店員さんが塾講師だったらどうでしょう?生徒は授業を聞いていてもチンプンカンプン、実利を得られないのに、ただ授業に参加していることだけに意義を感じてしまう子どもを大量に生み出すことになります。頑張って塾に通っているのに、ちっとも成績が伸びない。このような不幸を生み出す「授業の見せ方が下手な講師」には改善を求めたいのですが、それがなかなかうまくいかないのは、良い授業をするための「感性」がその人の先天的な性質、生まれ育った環境など後天的に身についた資質に深く関わっているからです。だから改善を努力だけに頼るのは難しいところがあります。まあ、鈍い人は鈍いままで終わってしまうと思います。
ですので、「あの先生の授業は何を言っているのかさっぱりわからない」とお子さんが言うのであれば、その先生に改善を求めるより、学習環境を変えてしまった方が効率的です。
次回もこの話を続けます。