塾の役割とは。⑦
2016年3月10日
続きです。
勉強ができないため叱られている生徒の立場になって考えてみましょう。「こんな問題も解けないのか!」で、まず自分の能力を否定されたと考えます。また、塾は学力=人間力と錯覚してしまうことが多分にある環境ですので、そこで自分の人格が否定されてしまったような気持ちになります。さらに、「この先生は僕のことを個人的に嫌っているから辛く当たるんだ」と被害妄想的な考えも芽生えたりします。それに、ひどく叱られたときの恐怖で怯えることもあるでしょう。さて、このようなマイナス思考が脳内に蔓延した中で、人は冷静に算数の問題が解けるものでしょうか?奮起してやる気になるものでしょうか?
これは何も子どもに限った話ではありません。大人も家庭・職場で同じような状況に置かれると思考が低下してしまいます。「叱咤の回数と学力は反比例する」これは私の持論です。しかし、このような非効率なことがまかり通っているのが日本です。精神論・根性論・体育会的なヒエラルキーなどが効率を図ることより優先され、却ってそれらが学力の向上を妨げる原因になっている。「叱ればやる気になってくれる」。これが通用する世界はありません。勘違いもいいところです。生徒の学力を本気でアップさせたいと考えるならば、また、なかなか成績の向上が認められないならば、塾講師は一人ひとりに合わせた従来とは違ったアプローチの仕方を模索しなくてはなりません。日々それを考えることが講師の仕事です。
塾の役割は、学力向上を最優先に考え、そのために、生徒を否定しない→自信を持たせ意欲を引き出す→ただし過剰な干渉はしない(なぜなら生徒と講師は別人格であり、また、受験はあくまでも生徒個人の問題であり、個人の問題はその個人が最大限の努力をもって解決すべきで、それが本筋であると考えるだから)という流れを築くことです。
次回に続きます。