塾の役割とは。➅
2016年3月09日
続きです。
中学入試に臨む動機はさまざまですが、これは生徒個人の問題ですので、そこに外部が介入することは避けるべきかもしれません。しかし、動機の濃淡は意欲の濃淡に関係し、それが入試に与える影響が高いことをわかっている周囲の大人は、何とか成功させてあげたいと思うので、過干渉はいけないと理解しつつも、つい淡→濃にしようと子どもの学習に過度に関わってきます。これが大人の熱意、しかし、間違えれば「余計なお節介」になりかねません。
子どもに無関心な親より、関わりを持とうとした親に育てられた生徒の方が合格率は高い。これは確かです。しかし、関わり過ぎてしまうとそれは子どもの受験というより、親の受験のようになってしまいます。中には合否の結果を受けての感情の起伏が、当の受験した子ども以上に激しい親御さんもいます。やはり親子関係は「つかず離れず」が理想かもしれません。しかし、そのあたりの加減は難しいところですね。
子どもは子ども、親は親、どちらも別人格、これは当たり前のはずですが、こと受験となると親は我が子を「自分の分身・代理人」のように考えてしまう傾向にあります。極端に言えば「子どもの評価=親の評価」と考えてしまいます。もし親が自分の評価を貶めたくないという理由で、お子さんにプレッシャーをかけるなら、それは「自己保身・エゴ」であり、本来の「子どもの夢を叶えるための入試」という趣旨からは遠ざかってしまいます。
親もそうですが、塾講師もそういう傾向にあります。前回述べたような「怒りで生徒にプレッシャーを与える講師」も、子どもへの励ましが過ぎたからというより、自分の思い通りに動かない生徒への苛立ちからかもしれません。しかしそうであれば、それは「生徒を思い通りにしたい講師のエゴ」であり、それを捨てない限り健全な指導はできません。
次回はその続きです。