塾の役割とは。②
2016年2月15日
面倒見のいい塾は「私たちが一から十までお子さんの面倒を見ます」「やる気がなければやる気にさせます」と、謳うことが多いのですが、逆に言えば「全面的に面倒を見てもらわなければ、そして、他人からやる気を促されたり、褒められたりしないと中学受験に臨めないのですか?」ということになります。
「自主性」と「意欲」。中学受験に限らず目標を持って何かを達成しようとする場合、この二つはギリギリ直前まで持ち続けなくてはいけません。この両者を失くした時が「諦めた」になるわけです。しかし、これらを最初から持ち合わせていなかったとするならばどうでしょう?それは中学受験成功がその子さんにとって元々の「目標達成の対象」ではなかったということになってしまいます。人間は興味のないことに意欲を燃やすことはあまりありません。野球に興味がない子に「手取り足取り指導します」「野球を好きになれるよう意欲を高めていきます」と言われても、当の子どもにとっては「ありがた迷惑」「苦痛」でしかないのと同じようにです。
つまり「面倒見がいい塾」はその甘いキャッチフレーズとは逆に、子どもを追い込んでしまう可能性もあるということなのです。
一方、「自主性はある。やる気もある。だけど、どうしても自力では解けない、理解できない問題がある。それを納得いくまで教えてほしい。それができれば目標校の合格に近づけるのだから。」という生徒の願いに極力応えようとする「面倒見がいい塾」。これは同じ「面倒見の良さ」でも上記とは意味が違ってきます。
まずは自主的に家庭学習をきちんと行うことが前提です。だけど補い切れないことは謙虚にプロに教わる。プロもその期待に応える。その蓄積が双方の信頼関係を育む。これが家庭と塾との健全な関係です。その相乗効果で成績は伸びるはずなのですが、なかなかそうならないのは、そこのどこかに何かしらが欠落しているからなのです。
それを示唆するのも塾の役割です。これができる塾というのが本当の意味での「面倒見がいい塾」だと思います。
次回に続きます。