テストの受け方。⑦
2015年9月17日
前回の続きです。
「テストの受け方」シリーズの最終回です。本日は残っていた「精神的事由に因るミス」についてのお話しをします。
前回の「理解力不足」「知識量不足」の原因を作っているのは紛れもなく受験生本人です。そのような事態に陥るのは、何の根拠もないのに「理解する必要はない」「知識量を増やす必要はない」と自分勝手に判断しているからです。自分に制限を掛けるのは「合格したいという熱意より、目先の楽を優先したいという誘惑」に負けてしまうからです。「合格したいという熱意」の方が下位に置かれるなら、結果もその通り下位になります。これは必然ですね。厳しい言い方をしますが、成績が伸びない生徒、ひいては入試で失敗する生徒は総じて自分に甘いです。「僕は自分に甘い、だけど受かりたい」という「虫のいい話」はこの世に存在しないとお考えください。夢・希望を持つのは大切です、が、実行力が伴わず、ただ脳内でお花畑を描いているだけでは合格できないのです。その現実も直視してください。
さて、とは言っても、甘い生徒は自分がそうであることを重々認識しています。日頃より、受験生としての自覚が足りないので、口では「大丈夫」と何の根拠もないのに自分を励ましつつも、心のどこかで「自分には受験生たる資格があるのだろうか?」という不安やうしろめたさを抱えています。不安やうしろめたさは自信喪失につながります。自信がないと、自分の成し遂げようすること全てに対し疑心暗鬼・おっかなびっくりで接するようになります。その漫ろになった心の隙を狙うかのようにして「ケアレスミス」は発生します。先日も申し上げた通り、単におっちょこちょい・注力散漫な性格が原因でケアレスミスをするのではないのです。上位生でケレスミスが少ないのは、確固たる自信が自分に落ち着きを与え、どんなときでも冷静沈着に対処できることを習慣化しているからです。
もう一度確認しましょう。「精神的事由に因るミス」は誰かに強要され、そうなった訳ではありません。100%自らが生み出したことなのです。
精神的事由によって派生するさまざまなミスを食い止めるには、根源である精神力を鍛えることが求められますが、「私はできる・僕はすごい」と自己暗示をかけたところで仕方ありません。まず、中学受験を目指す人間として、自分にその資格があるかどうか?を考えてみる必要がありです。例えば、頑張っているとは言っても、自分に制限を掛けたその中での努力ではなく、客観的に見て自分が頑張っている部類に入っているかどうか?また、相対的に見て理解量・知識量など実利を得るという点で他者に勝っているかどうか?入試は他者との競争ですので、生き残りを図るための有効な手段・工夫を自らが考え実行しようとしているかどうか?など、心の底を見つめてください。
精神力を鍛えるとは、合格することを最優先させ、そのための方策を逆算し実行しながら、自分を極限まで追い詰めていくという意味です。
「受験するのは誰のため?」「勉強するのは誰のため?」と尋ねると、生徒たちは判で押したように「自分のため」と「模範解答」を述べますが、実感として言える生徒と、当事者意識がなく親に言わされている生徒の二種類がいるならば、後者は間違いなく淘汰されます。
また、前者の中でも実行力を伴うか否かでも勝ち組と負け組に分かれ、勝ち組の中でも理解力・知識量の差でまた勝ち組と負け組に分かれ・・・というように(特に上位校合格を狙う受験生の間では)最後まで残る生徒はほんのわずかということになります。ここで残ったのが「知力・体力・胆力・創造力・(意欲・集中力・克己心などの)総合的人間力に優れた生徒」ということになります(上位校ではこういう生徒がほしくて仕方がない。育て甲斐があるということなのでしょう)。
中学受験とはこのように情け容赦ない本当にシビアな世界です。そのことを重々ご理解いただいた上で、日々何をすべきかお考えいただきお過ごしください。
次回からは新テーマが始まります。