上位校に受かる生徒の特徴。⑪
2015年6月01日
続きです。
「勉強しないとどうなるか?」例えば、宿題しないと次の日、先生に叱られる、受験勉強しないと入試に失敗する。マイナスの結果が生じるのがいやだから仕方なくやる。「めんどくさいな」「早く終わらせたいな」「やりたくないな」。そこに学習への喜びはありません。
子どもが嬉々として行うことの多くは「結果責任が問われないもの」です。もちろんゲームや漫画は面白いから好きだからという理由で関心を持つのでしょうが、「未達だったらクラスを落とす」などというプレッシャーがないから気軽に楽しめるのです。
さて、話を戻します。前回は「子どもに任せる」「子どもを信じる」という話で終わりましたが、これはなかなか難しいと思います。「任せるとは言っても、ほっておいたら永遠にやらないのではないか?」と不安になるご父兄も多いでしょう。
実際「永遠にやらない子」もいます。そういうお子さんは大人になって「日本は学歴社会だ」という現実にようやく気付き、後々後悔することになると思いますが、それは物事を先取りして考えられなかった自分の幼さ、その幼い子にきちんと物事の道理を教え指導できなかった親御さんが招いた結果ですので、その後お子さんが、生き方の軌道修正を求められる事態になっても、そこは甘受していただくしかないと思うのですが、できればそうならないよう前もって「自分から動く子ども」に育てたいのでしょうが、それがうまくいかないから親御さんはお悩みなのだと思うのです。
私は子どもの自主性を尊重しつつも、嫌なことは遠ざけたいという彼らの本性は知っています。子どもは基本的にずるい生きものです。しかし、それでも親が叱ることなく、学習させるには以下の方法が有効だと思っています。
それは「勉強の義務化」です。大人の義務が労働であるように、子どもの義務は学習である。大人が気分で労働しないように、子どもも気分で勉強しない。労働しない親を持つと子どもが心配するように、勉強しない子どもを持つと親は心配する。もっと言えば「子どもが勉強するのは義務であると同時に、親のためでもある」と言い切ってしまうのです。ここで言う「親のため」とは、子どもが大人になり、老後の面倒を見てもらうための「エゴ丸出しの親のため」ではなく、「義務すら遂行できない我が子を持ってしまったために親の心配が増える、親に余計な心痛を与えないがための親のため」です。親はそこを正直に言ってしまって構わないと思います。そう言うのを臆してしまうから、明日のことさえよくわからない子どもに向かって「あなたの将来のために」と誤魔化してしまうのです。当然お子さんはわかったふりをするだけで、本当のことはわかっていない。心に響いてこないから当事者意識をもたないまま、イヤイヤ勉強することになるのです。
「義務化」と「自主性」は相反することのように感じますが、ここで取り入れたいのは「作業興奮」です。例えば年末の大掃除はめんどくさい、だけど義務だから仕方なく部屋掃除をやる、で、そうこうしているうちに熱中し始め、家全体をきれいにしなくては気が済まなくなる状態になる。これを「作業興奮」と言いますが、これを学習に応用していくのです。最初は義務です。そしてそのあとに「作業興奮」を起させ、自主的な学習につなげていく。ここから先が先日申し上げた「子どもを信じる」「子どもに任せる」になっていくのです(単なる「放置放任」ではありませんので、そこは勘違いしないでください)。勉強の義務化→作業興奮の呼び起こし→自主的な学習が習慣化すれば、子どもに任せても勝手に学習していきます。その結果お子さんを信用できるようになり、受験勉強期間中も家の中が不快になることなく、家族全員がご機嫌な過ごし方ができるようになる。我が家でもこのようにして受験期間を過ごしてまいりました。
しかし、肝心なのは最初です。そこを間違えるとうまくいきません。
次回はそのあたりについてお話していきます。