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国語対策法を伝授

「何のために受験するの?」。⑤

2010年4月30日

 以前、「受験勉強をすること自体が重要である。」というお話しを、そして昨日は「不幸を回避するための受験は動機として十分成立する。」というお話しをさせていただきました。この両者は一見すると整合性がないように思われますが、私は深い部分でつながっているように思います。今回はその辺りを解説していきたいと思います。

 これまでの詰め込み教育の反省・反動からかここ最近「日本はもはや学歴に頼る社会ではない、一人ひとりの個性が大切だ。」といった考えがもてはやされていますが、どうでしょう?。例えば就職活動では自らの個性・人間性をアピールする前に、企業サイドが学歴を記した書類審査の段階ですでに学生を取捨選択しているという現実があります。「個性が大切だ」という教育学者・ニュースのコメンテーターもそれなりの学歴があるという恩恵を受けているから学者でいられたり、テレビ局に勤務できるのです。つまり、一定以上の学歴がなければ他者からの信用を得にくい、もっと言えば発言する資格がないという現状があるのです。現実社会を生きる以上、現実から目を背けることはできません。「自分にとって都合のよい絵空事の理想」に逃げてはいけないのです。

 他国はより顕著です。学歴によるヒエラルキーは特にアジア諸国は日本の比ではありません。どこの大学でも24時間図書館が開いており、そこで夜中まで学習している学生が多数存在していますし、その大学に入るための受験勉強は更に熾烈です。

 音楽や、スポーツなどそれほど学歴が必要としない分野で活躍できる人は本人の努力もありましょうが、先天的な能力が他者以上に恵まれていることも大きいと思います。ただ、そういう方はほんの一握りであり、大抵の人間は「凡人」です。

では「凡人」はどうすれば良いのでしょうか?

 幸い現代は、「凡人」なのに能力以上の身分に恵まれたり、才能があるのに身分が低いゆえに日の目を見ることのなく埋もれていくといった「理不尽な不平等を生み出す封建時代」ではありませんので、志の高い人は皆、それを実現するためのチャンスを平等に得ることができるのです。そういう意味でこの時代は素晴らしいと思います。そして、その与えられたチャンスこそが「学歴」なのです。

 学力には先天的能力はほとんど影響しません。あくまでも本人の努力と意欲に反応し、比例するものです。つまり、その学力の積み重ね・その集大成が「学歴」であり、最も平等にその人を知るうえでの選考基準となり得るわけです。

 そこから見えてくるものはその人間の知識の豊富さだけではありません。その「学歴」に至った日々の暮らし方・忍耐力・継続力・志の高さなどの「凝縮された人間性」が見えてくるのです。

 学歴の最高峰と言えば日本では「東大卒」ですが、彼らを「知識はあるが、青白く頭でっかちで人間性に乏しい。」と揶揄することが多いですね。だとしたら、このような人間を会社が採用するはずはありません。ですが、今だに重宝されている。もうなぜだかわかりますね。

 それは前記した「人間力」が総合的に優れているからです。毎日の学習量の多さ、これを継続的にこなすだけでも相当の気力・体力・根性が必要なのです。つまり彼らの本質は「体育会系」に近いのです。激務を強いられる企業・役所がこのような人材をほしがらないわけがない。頭脳明晰ならば尚更です。(また、東大生は自分に自信があるためか、他者への配慮ができるゆとりがあります。私の知っている大抵の方は人間味があふれていました)

 以上のように学歴にはその人の「人間力証明書」のような役割があり、学歴ヒエラルキーが高いほどそれは「葵の御紋」に似た効力を持つようになるのです。その効力は自分が不利な環境に追い込まれたときに発揮します。いわば「保険代わり」ですね。

 ですから、「不幸を回避するための受験」とは、いざというときいつでも「葵の御紋」が取り出せるようにするための下準備というわけです。

 次回は「受験勉強をすること自体が重要である。」という冒頭の内容を絡ませお話いいたします。

 

 

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