入試まで残り75日です。
2014年11月18日
残り10日ほどで11月が終わります。来月は12月。今年が終われば1月からは受験が始まります。月日はあっという間に過ぎ去っていきます。毎日毎日を有効に活用してください。
さて、ここ最近当塾生の国語の成績の伸びが顕著です。国語という教科は長い雌伏期間を経て突然できるようになる点で、少しずつ伸びていく他の教科とは少し違います。しかも一度できるようになってしまうとそれが持続するという点でも異なります。自転車もそうですね。乗れるまでに時間がかかっても一度乗れるようになれば、しばらく乗らなくてもいつでも乗れてしまう。国語もそれと似ていると思います。
5年生から受け持った生徒の成果が表れるのは概ねこの時期です。その間2年弱ですが、この長い雌伏期間中、親子ともに辛抱できなくなり匙を投げてしまうか、それでも我慢しコツコツ教わったことを吸収していく謙虚な姿勢を保とうとするか、その差が2年後には天と地ほどの開きにつながっていきます。
国語は面白い科目です。「とても好き」「ものすごく嫌い」どちらもそれほど存在しない教科です。なぜか?それは私たちが普段使っている日本語つまり国語が、あまりにも日常的すぎて、好き嫌いを超えた「空気」のような存在になってしまっているからです。「空気」は緩いのものです。そんな「緩い空気」に包まれていれば、たとえ、国語が苦手だという生徒であっても日常生活に不自由することはないでしょう。なぜなら極端な話「おーい、あれ」「はい、あれね。」だけでも生活が成り立ってしまうからです。言わずとも察してもらえる、察してあげる、というのは双方の「甘え」です。それに慣れきってしまっているから、支障なく生きていけるから「自分は国語力が劣っている」ということがなかなか自覚できない。
その「甘え」こそが国語力を削ぐ元となるのです。「会話の少ない家庭では子供の国語力は育たない」と言いますが、これは別に家族全員でマシンガントークをしろと意味ではありません。「おーい、あれ」と言われれば、「あれ」とは何か?、その「あれ」をどうするのか?、主体は何か?、具体的に何をするのか?まで、きちんと言わせることを習慣化させてください、という意味なのです。「うちの子はよくしゃべるから国語力は安心」というのであれば、その中身に着目してください。主語述語がなく、単語を脈絡なく重ねただけの論理性に欠けた筋道の通らないものであれば、それは単なる「騒音」です。そうであるなら、早目に改善させることが親の務めですね。家庭でのこの努力の積み重ねがひいては「正しく話せる子」から、「正確に聞きとれる子」へ、さらには「正確に読める子」「正しく書ける子」へと発展し繋がっていくのです。
国語力の原点は家庭にあります。子育ては何気なくするものではなく、子が生まれた瞬間から親が責任を持って計画的に行うべきものなのです。当塾で国語の指導の成果を出すのに2年近くかかるというのは、それ以前に身に付いた垢=悪しき習慣をきれいに洗い落とし、そこから「本当の国語力」「受験に耐えうる国語力」を身に付けさせるのに、概ねそれくらいの時間が必要であるという意味なのです。
次回も国語の話を続けます。