国語のお話・・の前に。②
2014年6月04日
続きです。
「勉強が面白い」「学ぶことは楽しい」という域に達するためには、先ずその前段階である「根本原理」を理解する必要があります。しかし、何事にも達成の前には「産みの苦しみ」が伴います。学習も例外ではありません。その初期段階で挫折してしまうと後々体験できるはずの「学ぶ楽しみ」を得られないままで終わってしまいます。ですから前回申し上げた通り、「すぐ挫折する人は苦労しか体験できない」=「短気は損気」だというのです。勉強嫌いなお子さんは間違いなく短気で堪え性がない。そして、そのように育ててしまった親も短気で堪え性がない人が多いという傾向にあります。
人前で恥じ入ることなく騒いだり、泣き叫んだりする落ち着きのない子。そういう子どもをたまに見かけますが、これなどは短気で堪え性のない子の典型ですね。幼児期からそうである子は要注意です。不思議なことに勉強嫌いな生徒本人を含め、その弟や妹もそうであることが多い。これは兄弟の遺伝というより、育て方の問題ですね。「騒ぐのは子供らしくていい」などと甘々な対処をしているからそうなるのであり、それが後々悔いることになるとその時点で気付いていないのかもしれませんね。
本当に親の影響・責任は大きいですね。前述の「根本原理の理解」、各科目のそれは今後の成績を左右する最重要の基本事項ですので、それゆえ噛んで含めるように粘り強く何度も何度も同じことを繰り返し子どもに教えていかなくてはならない。教える側も忍耐が必要、教わる側も忍耐が必要です。その場合は前もってお子さんに「ここは重要だからしっかり聞いておくのだよ」と伝えておいてください。親の本気度は子どもにも伝わりますから。
しかし、短気な親は子どもが「チャッチャカ理解する」ことを望みます。その理想とそうならない現実の乖離が大きくなると親は「この子は頭が悪いのではないか?」と短絡的に(短気ゆえに)考えてしまいます。そして、同じことを繰り返させる子どもに苛立ちを感じ、その時間を浪費しているように思えて最後には…キレてしまうんですね(笑)。キレられた子どもは動揺し、そして「何とか理解したい自分」と「そうできない自分」の乖離に苦しみ、最終的に「こんなに辛いなら、だったらいっそのこと」と、学習を放棄するようになり、その一方で学んでも理解できない自分に嫌悪感・その状況に恐怖さえ感じてしまうようになってしまうのですね。これが「勉強できない子」「勉強が嫌いな子」にしてしまう「しくみ」です。そして、親は自分のことは棚に上げ、やれ子供が悪い、やれ塾が悪いと他者に責任を転嫁し、「青い鳥」とやらを求め、やたら動き回る・・という毎度おなじみのパターン(笑)に陥ります。「やたら動き回る」ことが如何に時間と労力を無駄にしているか、目先のことしか考えられない短気な人はそのあたりの計算ができないのかもしれません。いいですか?外部の「カリスマ何チャラ」とかいう青い鳥を求めても成績は上がりません。「青い鳥」はお子さんの心の内部に宿るもので、宿らせるべく努力するのが親の役目なのです。そこをご理解ください。
私は長年のキャリアから「どうすれば学習が楽しくなり、成績が伸びるか」を知っていますので、その流れに逆行するようなお考えの親御さんとはたまに議論します。当塾が毎年「受験成功」と胸を張れる結果が残せているのも、ひとえに私の進言を素直に理解・実行し、受験日当日まで私にご協力いただいた親御さんあってのことです。このことは感謝したいと思います。