成果は自主性と学習量で決まる。➅
2014年4月30日
やる気はある。学習量も多い。なのに、成績が伸びないのは「考えようとする気持ちと力」がないからです。その「考えようとする気持ちと力」の程度の差がそのまま学力の差につながるというお話をしました。そして、考えることを放棄させているのは親御さんの「早くサッツさと主義」で、手っ取り早くチヤッチャッカ処理できない子を見ると愚鈍に思えてしまう親御の価値観・エゴのせいで、そうできない自分を責め劣等感を抱いてしまったお子さんが、その作業を自ら放棄してしまった結果が「考えない子」を生み出す原因であるというお話もしました。
本来「考える」というのは、「答えが不明であるがその答えが何であるか」を探るために不可欠な作業で、所謂「前例に従う」とは対照的なものです。探り方は人それぞれなのでアプローチの仕方もオリジナリティに富んだものとなりますが、この作業を習慣化させることは何かを発明・発見するためだけの話ではなく、自分自身の生き様や哲学を自主的に確立するためのものでもあります。周りに流されたり迎合したりせず、自分の考えた生き方に従い生きる。手探り状態の人生であっても、納得できる自分らしい生き方ができるかどうかのポイントはそこにあるのではないでしょうか?
さて、しかし、入試問題は上記と違い、答えがあるという前提で作成されています。ですから、考えるというより、すでに存在する答えを導くための手順を探る、つまり逆算してみるという作業に重きが置かれます。
例えば算数ですが、算数は「理系科目」でも「考える科目」でもありません。考えなくてもそこそこ取れるのです。問題を見た瞬間に手を動かし作図作業を行う生徒もいますが、これも利発な子どもだからそうできるのではありません。よく考えているからそうするのではありません。答えを導くパターンを完全に体得しているから、つまり各問題に対する定着度が高いからそうできるのです。それは学習量で何とかなるもの。まだ本当の「考える力」は必要ない段階かもしれません。
続きは次回に。