自主的に勉強する子どもに育てる。 ➄
2014年3月15日
続きです。
「親は自分の身を守りたい」。これを私は否定しません。親は必ずしも聖人君子である必要はありませんし、人間とは本能的に自己保身を図る生き物だと思うからです。
「取り繕うな」ということです。「子どもが勉強する、成績が上がる、志望校に合格する」そうなれば「親が安心する」を正直にお子さんに言えばいいのです。
「勉強するのは誰のため?あなたのためでしょう」と世の親は子どもに伝えます。子どももそれを鵜呑みにし「勉強するのは自分のため」と「洗脳」されますが、「はて?どうして勉強するのが自分のためになるの?今は遊んでいる方が自分としてはいいんだけど・・」と、だけど「親が言うんだから」とそれを信じ、深く考えることもなく、何となく机に向かうんですね。ですが、「何となく」ですから、そこには真剣味も切迫感もない。目標がぼんやりしているからそうなってしまうのかもしれませんが。
だから「親を安心させるために勉強して」でいいのです。親も正直にそう言えばいいのですが、プライドが許さないのか、こんな不純な動機で子どもに勉強させるのは邪道で良くないと思い込んでしまっているのかはわかりませんが、そういう「自分に正直な親御さん」に出会ったことはありませんね。
高校・大学受験と違い、中学受験は自我が確立する前の試練であり、「どうして中学受験するの?その必要性は?」がよくわかっていない小学生が臨むものです。ですから「何となく親にやらされた」という面が強いのです。つまり、親の影響力が大なのが中学受験なのです。
以前にも記しましたが、幼少期より親子の信頼関係が確立されている場合は相互の意思疎通ができていますので、「親を安心させるために受験する」というやさしい子どもに育つことは不思議ではないのです。ですからおかあさんもお子さんに甘えて先程のセリフを言ったとしても、お子さんは違和感なく受け入れてくれるはずなのです。そして受験は「自分のためでもあるが、大好きなお母さんを喜ばせてあげるためでもある」という受験目標をお子さんは得ることになります。
ただし、親御さんはそれに甘え過ぎてはいけません。中学受験は「親子の共同作業」である以上、成功のための責任・義務の一端は親御さんが担うべきなのです。「中学受験は親のためのもの」という要素もありますのでそれは当然のことです。
「勉強は塾に任せておけばいい」ではだめなのです。お子さんが親の無責任さ・甘えに気付いたとき中学受験は「親子の共同作業」ではなくなります。
では、どうすればよいか?次回に続きます。