自主的に勉強する子どもに育てる。 ①
2014年3月06日
※ 「勉強」の元々の意味は「無理やり強いる」。私個人はこの言葉が好きではないのですが、便宜上使わせていただきます。
勉強のできる子できない子の差は先天的な理由もあるでしょうが、その差はイコール学習量の差であると断言していいと思います。学習量が多いとパターンで問題を解く力が身に付きます。しかし、この学習では初見の問題に対処できないという批判もあります。しかし、基礎の定着には役立ちます。塾で習わない初見の問題のフリをしながら、実は基礎の部分の定着力を見ようとする問題が入試ではチョクチョク出てきます。そういう問題をスラスラ解ける生徒は「頭がいい」のではなく、基礎が定着しているから柔軟に物事に対処する能力が長けているというにすぎません。つまり、応用が利くということなのですが、生徒の中にはそれが長じて模範解答とも違う独自の解き方で問題を解いてしまう強者もいます。これも「頭がいい」からではなく、長時間の学習の中で、あれやこれやと知恵を絞っている中で「ふと湧き出た発想」がとても使い勝手がよさそうなので、そのまま「解き方」に発展させてしまったということなのでしょう。いずれにせよ学習量の多いお子さんは脳のシナプスをあっちこっちに張り巡らせますので、対応能力に優れた生徒となります。
問題はその学習量の確保です。無理やり机に向かわせるか自主的に勉強させるかいずれかですね。どちらが理想かは言わずもがなですが・・・次回はそのあたりを説明してまいります。