勉強はきらいですか? ②
2014年2月28日
続きです。
「どうして勉強がきらいになるのか?」。その理由。
勉強が嫌いなお子さんは「なぜ、勉強するのか?」の根本を理解していません。それは厳しい言い方をすれば、親御さんがお子さんにその理由を説明しないまま、もしくはその理由を明確に説明できる術・哲学を持たないまま「とにかくやりなさい」と、頭ごなしに勉強することを強要してきたからです。当然お子さんは納得できないことには反発します。これが学習放棄の原因になったとしても不思議ではありません。上記が勉強が嫌いになる一つ目の理由です。親自身に確固たる哲学・信念がないまま、己の育児教育不足を棚に上げたまま、ただ親であるという理由だけでお子さんに勉強を強制するのは酷というものです。先ず親御さんが「どうして勉強することが必要なのか?」をよくよく考えたうえで、お子さんが納得できる話をお伝えいただければと思います。
二つ目に考えられるのが、勉強を純粋に知識・知恵を得、自分を成長させる手段としてではなく、比較・競争の材料として「利用」しているからです。「誰々君は偏差値60だってよ。それに比べおまえは・・・」「こんなこともわからないの?、そんなんじゃ誰々さんには勝てないよ」「お父さんが子供のころは・・・」など。こんなことを毎日のように聞かされれば、誰だって劣等感を覚え気持ちが萎えてしまいます。それがきっかけで学習意欲が低下してしまったとしても不思議ではありません。また、世の中には「ちゃっちゃか」要領良く問題が解ける生徒ばかりがいるわけではありません。たとえ要領が悪くてもわからない問題に対し、じっくり腰を据え「根本原理の理解」を目指したいと静かなる意欲を燃やすお子さんもいます。そういうタイプの生徒に「何時までのろのろやっているんだ、誰々君だったらすぐできちゃうぞ」」と無神経に発破をかける親・塾講師がいるとすれば最悪です。確かにそれで発奮するお子さんも(少しは)いるでしょう。しかし、それで一流と呼ばれる中学に合格できたとしても、「勉強する楽しさ」を体験できず過ごしてしまったのであれば、その後、学習意欲を持てないまま燃え尽きてしまうかもしれません。そういう人を「東大に合格できただけの人」などと揶揄する言葉もありますが、私はこうした人は競争原理に否応なく巻き込まれてしまい、自分の個性を封殺されてしまった犠牲者ではないかと考えてしまいます。
次回に続きます。