中学受験をする意義とは ➄
2014年2月24日
前回の続きです。
「どうして勉強しなくちゃいけないの?」「大人になってから役に立つの?」と疑問を投げかけるお子さんがいます。そして「将来役に立たないんだったら今頑張っても意味がない」と考えてしまうお子さんもいます。また親御さんの中にもそのような考え方に迎合してしまう人がいます。そして「だったら小学生のうちは大いに遊びなさい」と「子どもに理解のある親」として接します。 しかしそれは「子供に理解のある親」ではなく、「子どもにとって都合のいい親」に成り下がってしまっていることを意味していると気付かなくてはいけません。
この世に存在する便利なもの。例えばエレベーター。高層階に行ときは階段を使うよりもそれを使って行く方が楽ですし、時間のロスも防ぎます。しかし、それは元々自然界にあったものではなく、人間がさまざまな試行錯誤を繰り返し、英知と工夫を結集した末に作り上げられたものです。そしてその恩恵をわれわれ子孫が享受しています。 エジソンがいなければ世界中に電気を普及させることは不可能だったでしょう。歴史を学ばなければ失敗から教訓は得られないでしょう。文章の表現力が乏しければ、また、文字を使って正確に情報を伝える術が未熟であるとすれば、コミュニケーションなどに支障が生じ、内容が正しく伝わらず、われわれを取り巻く環境に混乱を生じさせるでしょう。ですので、理系文系問わず、それらを総合的に学ぶことは結果的に自らを「生き易く」すると同時に、他者への貢献にもつながっていきます。
学校での勉強が基礎だとすれば、上記は基礎から生じた応用・副産物です。確かに学校の授業や受験勉強が大人になってからもそのままの形で役立つことは稀です。が、それを積み重ねていく過程で、同時にそこにさまざまな工夫・発想を積み重ねていくうちに、基礎学力は形を変え、思いがけない有益な副産物に生まれ変わる可能性があります。逆に言えば、基礎学力そのものがなければ、工夫・発想なども生じることはなく、「自分にとって有益なもの」を得る機会を初めから得られないということになります。
ですので、 前記の「子どもに理解のある親」のままでお子さんに接するのであれば、それは結果的にお子さんの将来の可能性を積極的に摘み取ってしまう行為になってしまいます。親として無責任かと思いますので、これは避けていただきたいですね。
中学受験をする意義につきましては、前回、受験体験はそれを経ることによりお子さんに人間力を与えるというお話をさせていただきましたが、今回は、受験体験は上記のように「基礎学力を身に付ける→自分自身を幸福にする術を得る」きっかけにもなるというお話をさせていただきました。
現在、様々な分野で活躍している人に高学歴者が多いのは、幼少期より「工夫する・思考する・それにより柔軟な行動ができる」ことが習い性になっており、同時に学ぶことを楽しみ、それを日常の「ごく当たり前の習慣」として捉えてきた過程があるからです。別に「東大出身」だけを売り物にして成功してきたわけではないことをご理解ください。頑張っている人は結果的に高学歴の人が多いということなのです。そしてそのような育った裏には親御さんの「子育て力」があったことを認めなくてはいけません。(塾の貢献度など低いものです)
次回に続きます。