失敗を失敗のままで終わらせない。①
2013年5月27日
成績不振で落ち込んでいるお子さん、また、その状況に悩んでいるご父兄に接する機会が多いのは、何も当塾に限った話ではありません。「良い成績をより良く」という理由で入塾される方よりも、前記のように「手の施しようがない成績を少しでも良く」という理由で、それこそ「藁をも掴む思い」で入られる方が圧倒的に多い。集団授業のスピードについていけないということでもあるわけです。
成績不振に陥る理由は「学習方法を知らない」とか「遺伝」とかそういうことではありません。ほとんどの場合「単なる勉強不足」もしくは「勉強時間は取ってはいるが、中身のない非効率な学習」であることが原因です。
成績が伸びないのであれば、もっと頑張ったら?と言いたいところですが、当事者の心の中はそんな単純なものではないかもしれません。
成績が不振ですと、そんなお子さんに対し「単純な親御さん」は感情的に叱る一方です。するとお子さんは「成績が悪い、親には怒られる」のバブルパンチで、仕方なく机には向かいますが、「こんなひどい目に合うのは勉強があるからだ」と、勉強を「逆恨み」するので、とても「楽しく学習する」という余裕・心情にはなれません。これが「勉強時間は確保するが、集中力に欠けた非効率的な学習」を生み出す原因となります。
これを繰り返していても成績は伸びません。ですが「単純な親御さん」は「そうなるのはまだまだ学習時間が足りないからだ」と、お子さんの遊ぶ時間や自由時間を削って、それを学習時間に充てようとします。その結果、お子さんは「牢暮らし」のような味気ない生活を強いられ、これも「勉強のせい」と考えてしまいます。そして、完全に開き直り「勉強しない子」になってしまうのです。
ダラダラと学習時間を取るのは、親の「自己満足」で、決してお子さんのためにはなりません。その結果、お子さんは肉体的にも精神的にも追い込まれることになります。これでは学習の継続が難しくなりますね。毎回申し上げますが、この悪循環を断ち切れるか否かは親御さんの度量の大小に係ってくるのです。
「感情的に叱る親御さん」は「成績が悪い=失敗すること」を忌み嫌い恐れます。きっと真面目できちんとした方なのでしょう。しかし、そのような価値観を持つ親に育てられたお子さんも失敗することを極度に恐れるようになります。「失敗することは悪いこと」、そう思い込むようにもなります。そして「どうせ次も失敗し、どうせ怒られるんだったら、無理して頑張る必要はない」というあきらめというか打算的な開き直りの発想が芽生え、「努力することを惜しむ子」に育ってしまうのです。努力することを放棄してしまった子は「学習することの楽しさ」「できなかったことができるようになる喜び」「できないことをできるようにする工夫」などには興味を示さなくなります。そして、成績が悪かったときの「言い訳の仕方」「その場合の親への媚の売り方」など、しょーもないことに神経を使うことになります。
失敗することはそんなに悪いことなのでしょうか?だったら三振したイチローはダメ、何千回と実験に失敗したエジソンもダメ、ということになります。
もし、三振するたびに、また、実験に失敗するたびに身内が「ダメ出し」をしていたらどうなるでしょう?両者ともすっかり気力を無くし、自己を限定してしまい、「小さくまとまった平凡人」で終わってしまったことでしょう。偉大なバッター、発明家はその名を歴史に留めることもなかったでしょう。
両者が成功したのは「失敗を失敗と考えず、その中に成功の鍵があると信じたから、また、それを見出そうと行動・努力をしたから」ではないでしょうか?
ですが、これは本人がいくらそうしようと考えていても、それを温かく見守ろう、応援してあげようという周りの人の理解や度量の大きさがなければ実現しません。まだ幼く、自分の判断に自信が持てない子どもに対しては親御さんや講師は特にそのように接していかなければなりません。
私が生徒に対し、成績が悪くても叱り飛ばすようなことをしないのは、「甘い」からでも「やさしい」からでもありません。そのように接することが「可能性の芽」を成長させるのに有効だと長年の講師経験で感じているからです。
反省すべきは反省する。これは必要ですが、失敗から成功を導き出す。こちらの方がはるかに重要です。
次回に続きます。