中学受験の意義。⑥
2013年3月06日
※ 今年は7割近い生徒さんが第一志望校に合格しました。また、1年間を通しての退塾者0%も達成できました。「なぜ生徒がストレスを感じることなく、楽しみながら成績を上げ、希望する学校に合格できるのか?」これには緻密な「ノウハウ」があります。ご参加いただければ、その理由がお分かりいただけると思います。
さて、前回は当事者、つまり受験に関わる親子にとっての「中学受験の意義」についてお話しました。そこでは合否を問わず得られるさまざまなメリットについてお伝えしました。
本日は第三者にとっての「中学受験の意義」についてお話します。第三者とはそれを客観的な立場で判断する人を指します。例えば前回で例を挙げた「企業の人事部」です。彼らは「履歴書」で人を見るわけですが、そこに書かれた「結果」で人を概要を判断します。
「学歴社会反対」「もっとその人の個性を重視して・・」「ナンバーワンではなく、オンリーワンを目指して・・」とは言いますが、未だに日本で学歴が重視されるのはなぜか?これは日本だけの話ではありません。中国・韓国など発展著しい国ではそれ以上です。
企業は一人の新人を採用し、育てていく間に莫大な経費を使います。これはかなりのリスクです。そのリスクヘッジのため、またはその経費に見合うような優秀な人材を確保するため、人事担当者は瞬時に「採用される側の資質」を見極めなければいけません。それが凝縮されたものが「履歴書」なのです。
先日「中高歴」のお話をしましたが、人事のベテランであれば、その履歴を見た瞬間に相手の「知力」「体力「忍耐力」を、またそれが「難関校」であれば、その「努力」「地頭」「人脈力」をある程度知ることができ、そこで採用不採用を判断します。
相手の「人となり」を見ることも大事ですが、はたして短時間の面接でその人を把握することが可能でしょうか?「採用されたい側」は採用されたいが故に、面談では終始笑顔で美辞麗句を述べるに徹し、、「頑張ります」「やる気はあります」とアピールはするでしょうが、正直、人事担当者には何も響かないでしょう。なぜならそこに「根拠」がないからです。
履歴書は(それが偽造でない限り(笑))、その人の歴史・顔であるわけです。人事部がそこから「根拠」を見出そうとするのは当然ではないでしょうか?特に「遊びたい盛り」の小学生が克己心を持ち、努力し頑張った結果、中学受験に成功したことは十分評価の対象となるのではないでしょうか?「東大卒」などの大学歴は「自分のための受験」ですが、「中高歴」は必ずしも自分の意志だけで行うわけではありません。親の影響が大です。そのプレッシャーの中で頑張ったという点で、こちらの方が評価が高いというのが私の個人的な考えです。
「受験に価値を見出せない」のも「アリ」ですが、しかしその結果、中身が「スカスカ」の履歴になってしまうリスクを考えなければいけません。「中学受験をすれば幸せになれる」とはまでは言いません。しかし、これを経るのと経ないのとではスタートラインが相当違ってきます。
スポーツ選手・芸術家など才能に恵まれた人に「履歴」は不要かもしれません。ですが、私も含め大半の人間は「凡人」です。「凡人」は才能ではなく、努力によって、そしてその結果によって「自分の価値」を認めてもらわざるを得ない。厳しいですがこれが現実です。現実を直視するなら、この中学受験の意義も見えてくると思います。
次回に続きます。